2020年1月
6年ぶり娘から文面
司法の場を降りる勇気
2020年、正月を1週間すぎた頃、6年ぶりに娘たちから年賀状が届いた。突然の出来事、これがどんなに嬉しいことか。別居→調停→離婚裁判をされ、相手弁護士による親子引き離しで娘たちに1度も会えず、手紙・メール、プレゼントもNGな状態。14歳と9歳に成長した娘たち(引き離された当時は9歳と3歳)からは、お父さんに会いたくないと裁判所の調査官調査で報告があり、会えなかった期間の長さに落胆。別居の原因はここでは割愛するが、元妻や僕自身の問題ではない。お金は人を変える、弁護士は正義でない依存ビジネス、様々な取り巻き人間関係「相続=争族」とはまさにこのことかと。
過去の経緯を全てを知っている元仲間で会社の顧問弁護士でもあった人から、まさかの虚偽と裏切り。正義と思っていた職種による理不尽な離婚裁判に誘導される家族。そして僕は被告人にされてしまう。無実の逮捕か、って感じ。こんなことがあるんだ!って絶望的な精神的ショックを受け、2度の入院をした。死にたいと思っていたと思うけど、記憶があやふや。幸い、裁判では こちらの反論証拠十分で裁判官が味方してくれたこともあり、事なきをえたが、娘たちと会えなかった6年間の月日は大きすぎた。何だったのか、この失った時間は・・・。
相手弁護士の懲戒請求、名誉棄損、諸々のウソによるメンタルダメージで逆訴えで勝つことは出来るとアドバイスを受けたがすべてを手放し、3か月前の2019年9月に離婚を決意した。文面主張による裁判闘争を終わらせ、精神的負担が大きすぎる尋問を避けたく、前に進みたかったから。裁判所内でやる親子面会交流に次女を頑張って連れてきた元妻の奮闘が見えたから。裁判を続けていくと制度上、尋問→離婚判決→さらに高裁までいくとさらなるストレスと10年以上も時間をムダにするから。娘たちの健全な成長を最優先したく、司法の場から降りることを決めた。
手放した先に希望あり
執着心を解放し、焦らない勇気
司法の場を降り、元妻と直接やり取りをすることが可能になった。元妻のメール経由で娘たちからのクリスマスプレゼント(漫画全巻セット)のリクエストがあり、それだけで嬉しかった。司法の場を通さない数年ぶりの直接やり取りだった。娘たちが欲しいといった漫画を僕も一気に読み、その感想を1行だけ添えたメッセージカードと共にプレゼント送付。長文の想いを送りたかったけど止めた。僕からの連絡は刺激になるので、少しずつ歩んでいけばいいと。当然、返事はなし。
裁判は終わったけど、モヤモヤしていた。不名誉な被告人にされ、無意味に時間だけ奪われ無罪。娘たちに全く会えず、写真も手紙もダメ。まずはプレゼントからというありえない子どもとの面会交流の条件。これで良かったのか?相手方弁護士の責任追及をやはりやればよかったのでは? でも、元妻にまたプレッシャーとなるし、そうすると娘達にさらに会えなくなるのは明白だった。そんなモヤモヤした気持ちを消してくれたのが、多くの仲間たち。争いではなく歩み寄りのアドバイスを何度も頂いた。感謝しても感謝しきれない。僕が対人コミュニケーションの仕事を応援する理由はここにある。
娘たちに対する次回のやり取りは4か月先の進級プレゼントの時だと思っていた矢先、まさかの年賀状が届いた。娘たちからだ。もうね、この喜びはハンパない!1枚の年賀状に2人の娘たちからの手書きのメッセージ入り。クリスマスプレゼントに対する返事数行。長女から「この漫画、読んだことあるのですか?」、元妻からも「体に気をつけて」のメッセージあり。嬉しかった。感謝した。年賀状を送るのはとても抵抗があっただろうけど、彼女達も勇気を出したのだと。裁判後のもんもんとした気持ちが一気に吹き飛んだ!執着を手放して正解だった。
過去は問わない。他人のせいにしない。
自分が未来に向けて、今から何ができるか
アルフレッド・アドラー
自分を変える3つの勇気
「自分を変える」って難しい。どんなに学んでも、すぐに元の自分に戻る。苦しむなら消えた方が楽(らく)なのでは?って気持ちが何度もやってくる。さらに、娘達は大人以上に大きなダメージを背負ったかと思うと、胸が押しつぶされてしまいそうになる。そんな負の感情を消すには、学びだけではな不十分。インプットを実践する行動に助けられた。動いていると目先に集中するため、過去の亡霊を一瞬忘れさせてくれるから。講師業やコンサルとして活動することで、自分の経験が役に立つという価値観を持てるようになった。お会いした方から反応を確認することが出来る。何度も自分を回復できた。
そう、安全・安心な居場所(コミュニティ)が出来ていた。飲み仲間とは違う、悩み苦しみを共有理解できる人との出会い。仕事だけでなく、神社参拝との出会いも同じ。見える反応だけでなく、見えない何かに僕は守られていると真面目に考えるようになっていた。気づけば、「学び」「実践」「コミュニティ」は自分を変える勇気になっていた。「変える」というより、自分を「取り戻す」に近い。かっこつけず、悲観せず、ただ普通の自分でいいんだと。
自分の居場所を見つける
いろいろあって、あらためて気づいた。やりたいこと、出来ること、求められていること、この三方向を知ることから始めたらいい。僕の場合、やりたいことは「松下村塾」のような学びの場をつくること。吉田松陰先生が指揮した私塾であり、高杉晋作や伊藤博文といった明治維新の志士を育てた。リーダーが一方的に講義をせず、門下生といっしょに意見を交わすなど各々のレベルに合わせた教育を行っていた。
ギリシャ哲学者ソクラテスの考えもいい。「無知の罪」、知らないことを「知っている」。知らないと損をする、まさに当時、弁護士ではなく心理カウンセラーのような民間団体があることをもっと知っていれば、6年の無駄を過ごさなくてもよかった。
我慢している人を輝く人にするコミュニティを創り広げていきたい。いい人を価値ある人にする学びの場、皆で分かち合い、自分を正しく伝える勇気を持てる場。そのために、僕が出来ることは過去の挫折経験は社会貢献という体験のシェア、新しい意味が過去の出来事を変えてくれる。目の前の人が一歩進む手段は何だっていい。未来を生きるキッカケだから。
原因を探っても、正しい答えなどない
僕が心理学の世界に出会ったのは書籍「嫌われる勇気」。そう、アドラー心理学が世に出た代表作。「どんな状況であっても、この先、有意義な人生にするためには、どうしたらいいか」を考える未来思考(志向)。過去の原因を追究し、理詰めで勝って喜ぶのは一時の感情だけ。相手に勝つことと子どもに会えることは別。子ども自らが会いたくないといえば、どんなに自分に正当性があったとしても裁判官ですら命令できないから。過去を探っても無意味。悔しいけどこれが現実。それでも、未来に向け、どうしたら子どもに歩み寄れるか、その一点だけをブレずにいた。
過去はギフト、未来にシフト
人生バージョンアップ
僕のような争いの悪化をしてほしくないし、夫婦、親子は円満で離れる手法があることをもっと伝えていきたい。生まれ育った沖縄の言葉で理想郷を意味する「ニライカナイ」をつくる。知識コミュニティの共有は当然で、それを威圧感なく軽やかに伝えることが出来るのが僕の「価値」なんだなって。過去の経験をギフトにして、未来にシフトすることで人生がバージョンアップします。一人が一人の背中を押し、それが波のように波紋的に広がっていく。
権威者に依存しない、自分で考える、選択できる力、日本の心、平和な世界をつくっていく。縦じゃない横の関係、論破じゃない寄り添いの考え。小さな自分でも何だって出来ると思える居場所をつくっていく。まずは自分軸からつくってみればいい。ぶれない「在り方」を魂レベルから再発見してみよう。何のための人生、生きる意味、生かされている理由を知ることから。我慢しない生き方、いい人、優しい人と一緒に成長していきたいから。本当の自立、本心の自分、新しい世界にむけて仲間とともに共振して生きる!
娘たちよ、生まれてきてありがとう!
いつか届いてほしい、この想い。